たれながし

ふと思ったことや落書きとかをぽいぽいする場所です

特盛うんこ

52週間で1年が経つ。

こう置き換えた時、1年とは何と短いものなのだろうかと思う。

 

 

時間にして8760時間。

ここから睡眠、仕事、家事等々に取られる時間を差し引いていくと残る時間はこれより短いものになる。

 

 

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©つくみず 少女終末旅行 4巻より 

 

 

こういった事は不定期に頭をよぎるが、その度に受ける印象が大きくそして重くなっていっている気がする。

節目の年齢が近づいてきているからかもしれない。

 

 

夏休みの宿題を休みが終わる間際でギリギリ終わらせてきた人間なので、先のことを余り考えずに雰囲気と流れで生きているのだけれど、中々そうもいかない時期に差し掛かりつつあるのかもしれない。

 

 

空っぽの人間に先のことまで見通せと言うのは中々に酷な事だ。

人生設計しっかりしている人を見ると本当に凄いなと思う。緻密に設計なんてしていたらもう途中で不安が爆発しそうになるし(と言うか、実際にそうなった)そもそもそこまで詳細に設計できるほど先のことを思い浮かべられないので。たとえ大雑把でも難しい。

 

 

まだ幼かった頃、やりたい事がないなりたいものが無いと床に寝転びながら泣き喚いていた時期がしばらくあった。

やりたい事を下さいと馬鹿みたいに大真面目に神様に祈ったりもした。

そんなことをしばらく延々と続けていたら心が壊れかけたのでやめた。 

自分探しやら自己PRの捻出やらで精神を病んだ、という話はまあまあ聞くがまさにそうで、あまり自分の内側を見つめすぎると本当に気が滅入る。

 

 

なんやかんやあって興味と専攻に紐付いた仕事に就くが、怠惰による過労か過労による怠惰か定かでない理由で降りる。興味はあったがやりたいことではなかったのか、ただやりたいだけだったのかあまり思い出したくない。

長いようで短い休みを経て少し回復したのか、小さな仕事を再びやり始め、やり遂げたら少し休んで、そしてまた次の仕事をして...

そして今、ようやく何とか並のレーンまで戻って来られたところ、というあたりだろうか。今日もまた暖かい部屋で飯が食える。ああ、ほっとする。

 

 

衣食住足りた生活を送られていることに喜びは感じる。むしろ一度失ったからこそ、それらを当たり前に享受できることへの喜びがある。少ないながらも話したり触れ合うことができる他人だって居る。確かに恵まれている。

見えない先のことで頭が一杯だった時期はいつの間にか過ぎた。とりあえず今を、目の前にある今を無理しない程度に勤勉に満たしていくことに平穏と充実を感じる。

 

 

ただあまりに空っぽな人生のまま、このまま人生を費やしていくのも虚しいとふとした時に感じる。欲が出てきたのかもしれない。

空っぽと書くと何だか違う気がしてきた。適当な言葉が見つからない。

全くの空っぽというわけではないと思うし、ただ生きていくだけでも十分だと思う気持ちもある。

まぁ何にせよ、今を満たした上で、また違ったレーンにエイヤッと乗り換えていきたいかなという気持ちが湧いてきた。ただそれだけ。